現代のゆとり世代を使いこなすための鍵は前期ゆとり世代にある

定期的に話題になる「ゆとり世代」が起こすトラブルだが、最近では同じ「ゆとり世代」でもその時期によって差があるのではないかと思うことがあります。

ゆとり世代を何をもってゆとり世代と定義するかにもよりますが、もし「ゆとり教育を受けた世代」をゆとり世代と呼ぶのであればこの傾向が顕著になるのではないでしょうか?

そして、ゆとり教育のスタートが2002年ということなので、義務教育期間中にゆとり教育を受けた学生は1987年生まれ以降の学生という事になりそうです。大学卒業時期で言えば、およそ2010年卒あたりから。

2010年卒の学生だと、ゆとり教育は中学生になってから受けたクチでしょう。円周率はギリギリ3.14のはずです。一方、2015年卒となると義務教育の半分以上がゆとり教育でしたので、円周率は3ですし、2011年にゆとり教育が終わった事を鑑みれば、ここ数年の新卒がゆとり教育の影響をモロに受けている世代と言えるでしょう。

まあ、ゆとり世代を単純に「最近の若い者」を侮蔑する意味で口にするケースも多いので、「ゆとり教育を受けた世代」と一括りにするのも大概ですが、今回は子供たちがゆとり教育の影響を強く受けたという前提で話を進めて行きましょう。

さて、こう考えてみると、ゆとり世代と言っても2010年卒と2015年卒ではその影響度合いにかなり差がありそうです。たった5年ですが、かたや1年か2年しかゆとり教育受けていないのに対して、一方は小3から7年以上に渡ってゆとり教育を受けてきたことになります。

彼らは同じゆとり世代でも、全く同じゆとり世代ではなさそうです。便宜的に前者を前期ゆとり世代、後者以降を後期ゆとり世代と呼びましょう。

2010年卒の前期ゆとり世代は既に社会人5年目です。今の新人の良い先輩にあたるわけで、仕事は当然一人前にこなしますし、場合によっては昇進している人もいるでしょう。そうでなくとも、昇進するための第一歩として新人教育に携わるというケースも多く、ある意味では新人に一番手を焼かされる立場にあるかもしれません。

ここ1,2年のモンスター新卒エピソードといえば、「飲み会を平気で断る」「遅刻欠勤の報告をテキストやメールで行う」「メモは写メで間に合わす」「帰れと言われて帰る」などなど、枚挙に暇がありません。これが現代のゆとりです。

ところが、前期ゆとりはそこまで酷くはありませんでした。いや、もちろん5年前の当時からすれば十分酷かったのですが、ほんのすこしマシでした。

例えば、「飲み会を断らないけど嫌がる」「遅刻欠勤の電話が遅い・理由を言わない」「メモが雑、携帯にメモる」「帰れと言われてトイレに篭もる」的なちょっと柔らかくしたイメージです。

まあ、当時から現代のゆとり並に苛烈な人もいたでしょう。ただ、現代ゆとりのバロメーターとも言える「飲み会をはっきり断る」ケースは近年になってから急増したような印象が強いです。

2010年頃から、「飲み会に行きたくない」「飲み会の意味が分からない」「飲み会が辛い」的な声は前期ゆとり世代から頻繁に聞こえていましたが、今では「飲み会に行く必要はない」と断言するようになっています。

過渡期と言えば過渡期だったのでしょうが、前期ゆとり世代のポイントは「後期ゆとり世代に共感できる心」を持っている一方で、「頑張って空気を読む」ようにしていた所にあるような気がします。

周囲に合わせなきゃ、という気持ちもあるものの、嫌なものは嫌。そんな気持ちに揺れ動いていたのが前期ゆとり世代だったのではないでしょうか?

そう考えてみると、前期ゆとり世代は今、「新人の気持ちも分かるけど上司を困らせるのも嫌だなあ」と困惑しているような状態かもしれません。

しかし、新人の気持ちを全く理解できない更に上の世代とは立場が大きく違います。

完全に上の世代色に染まってしまっていると難しいかもしれませんが、前期ゆとり時代の気持ちが少しでも残っていれば、後期ゆとり世代の気持ちが分かるはずです。

だとすれば、「現代のゆとりはモンスターだ」と手を焼く前に、後期ゆとり世代に対して正しい対応が取れるのかもしれません。前期ゆとり世代が、さらに上の世代と現代ゆとりの橋渡しになってくれれば、新人に手を焼くことも少なくなるでしょう。

ただ、前期ゆとり世代が後期ゆとり世代をまとめ上げて、ゆとり派閥を作ってしまったら大変ですね。数年後には「飲み会撤廃」「会議は写真で共有」「遅刻欠勤はメールで報告」が当たり前になっているかもしれません。

世代交代ということでそれで良い結果に繋がれば良いのですが、どうなることやら。

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