人工知能に解けてしまう試験問題に意味はあるのか?

人工知能が東大の試験問題を解いたとか、センター試験で高得点を取ったという話が話題になっている。しかし、ここでふと疑問が湧いてくる。「人工知能に解ける試験問題なら要らないんじゃないか?」ということ。

別に全く無意味とかそういうことを言うわけではないが、将来的に人工知能が人間のサポートをすると考えてみた時、「人工知能に解ける問題なら人工知能に解かせる」からだ。その中で、人工知能には判断できない問題を人間が解くということなる。

とは言え、試験というのは数学力や国語力と言った基礎学力を問うものであるから、人工知能に解けるならやらなくても良いということにはならない。それを言ったら、インターネットでググれば出て来るようなことを覚える必要はないというのと同じだ。

しかし、大学ではテキスト持ち込み可の試験があるように海外の大学ではPC持ち込み可(ネットあり)の試験も存在する。PCで調べていることはある程度はチェックされるのかもしれないが、実社会では「調べれば分かること」を覚えている必要性は薄くなっている。

もちろん、咄嗟に出てくるアイデアの活用や複数の知識を組み合わせる課題では、最初から頭に入っていた方が良いのは明らかだ。そもそも問題を解く速度も遅い。それでも「ネットで必要な情報を素早く調べるスキル」というのも実社会では必要なわけで、ネットで調べて答えを探すのもある意味では能力試験の一つと言えるはずだ。

さて、あくまで「実用性」だけを見た場合に限るものの「人工知能に解けるなら試験の意味がない」というのもあながち間違いではないような気がする。なぜなら、人工知能が発達した社会では、人工知能を上手く活用できた人間が効率的に働けるからだ。つまり、人工知能にできることは人工知能にやらせて、人間にしかできないことに時間をかける。これができる人間が人工知能社会で成功することになる。

ただ、私も諸手を上げて「試験は無意味だ」と主張するつもりはない。人工知能は万能ではないわけで、人工知能ができないことをするために人工知能が解ける問題を解ける必要があるかもしれない。要するに量子力学の新法則を発見するのに足し算引き算ができなければいけないのと同じだ。人工知能にできるから足し算引き算ができる必要はないなんて主張する人はどこにもいないだろう。

色々と説明してきたが、実はここまでは余談だ。

本当の問題は人工知能が解けてしまうようなパターン化された問題を試験にしてしまうことにある。

人工知能は優秀だが、現代の人工知能は一定のパターンを学習してそれに合わせて課題を解くだけで、人間のように思考しているわけではない。その人工知能が解けるということは、試験問題はかなりパターン化されているということになる。

受験勉強をやったことがある人なら分かると思うが、試験に出てくる問題は様々なパターンに数字を組み合わせただけの問題が本当に多い。もちろん、パターンに当てはまらないものもあり、東大の試験は比較的ユニークな方だ。それでも、人工知能に解けるということは「過去のパターンに一致するものを見つけた」からに他ならない。

そういう試験ばかりになるのはどうなのだろう?

過去に例を見ない問題ばかりでもそれはそれで困るわけだが、パターン化された問題を試験問題にするということは「パターン化された問題を解ける人間を欲しい」と大学が考えているということになる。これから人工知能が社会に広がってくることを考えると、パターン化された問題の解決能力はさほど重要ではなくなる可能性が高い。そう考えてみると、本当に試験問題はこのままで良いのかと思いたくなる。

じゃあ、どうすれば良いのかという話になるが、単純に複数の答えがある問題や答えのない問題を入れていくしかない。正解がないというのは受験生には困り者だが、「決まった問題を解く能力」というのはこれから重要度が下がってくるのは明らかなのだ。

AO入試などの優先度を高めようという意味合いに近いだろうか。それはそれで限界があるかもしれない。

とは言え、受験のあり方については今後今まで以上に議論が必要になってくる。

日本は社会的な変化が遅れがちな国なので心配だ。人工知能が広がる社会を前にして、心配事は山積している。

カテゴリー: Blog

コメントを残す