ルールを厳格に守りすぎる人は普段はただの良い人で肝心な時に悪い人になる

舛添都知事の税金の使い方に関して厳しい批判が上がった事でなんとなく思ったのが、「この人はルールを守っていれば何も言われないと思っていたのかな」ということでした。報道を見る限り、かなりギリギリの線をついていて問題になっているものの、明らかにルール違反とは言えない状況と言った感じ。経費の虚偽報告に比べるといささかパンチにかけますね。

本人もそれなら何の問題もないに違いないということで好き放題に使っていましたが、これは典型的なルールに不備があったというパターンでしょう。性善説に則り、且つ重職についている人ということもあり、「きっと正しく使ってくれるだろう」という認識でルールが決められていた印象を受けます。

さらに話は変わりますが、賭博問題や不倫問題で苛烈な批判をする人が、「ルールを破ってはいけない」という論調で相手を批難する時に、「ルールを守っていれば良いのか?」という疑問が湧いてしまいます。

法律もルールもモラルも基本的には人間が作ったもので、さらに言えばその社会の中でしか有効ではない「社会規範」に過ぎません。この規範は社会によって変化し、時代によっても変化します。

「それでもルールは守らないと」

それはそうです。ルールは守らないといけません。しかし、盲目的にルールを守るだけなら、それこそロボットと同じです。少し過激な言い方をしますが、「ルールを守るだけならロボットの方がマシ」です。

ただルールを守るだけではなく、「何故そのルールが必要なのか」「そのルールが何をもたらすのか」など、「ルールの存在」についてしっかりと理解し、納得できてこその人間だと思うのです。

例えば、赤信号の横断歩道の真ん中で子供が倒れていたとしましょう。この時、ルールを守るなら子供を助けるのは歩道が青信号になってからです。子供が危険だと思うかもしれませんが、車道側が青信号でも横断歩道では歩行者が優先であり、スピードを出しているトラックが来ても停止する義務があります。青信号を待つのが正しい選択です。

別にこの選択が間違っていると主張するわけではありません。本当にそういう選択をする人だっているはずです。しかしその一方で、車が来ないのをしっかり確認し、子供を助けに行く行動が間違っていると言えるでしょうか?

青信号を見て車がスピードを出すケースは多いですし、倒れている子供を認識できない可能性もあります。もしかするとこのような緊急時なら一般人でも信号を守らなくて良いという例外規定があるのかもしれませんし、あるべきだと思います。

ですが、全てのルールに「例外規定」があるわけではないでしょう。それに、何が緊急で緊急ではないのかの判断だって微妙です。

これは簡単な例ですが、「究極的には人を殺して人を救うのが正しいかどうか」のような、ルールの境界にまで議論は広がります。緊急避難や正当防衛はもちろんありますが、殺人や過剰防衛との境界はかなり曖昧です。

まあ、話はそんな大げさなものではなく、要するに「ルールを破る事に対して過剰反応するべきない」ということです。もちろん、「ルールを破る事を無視しろ」ということではなく、ルールを破ったら然るべき罰を受けるべきですし、批難を浴びるのも当然です。

 

ですが、批難される理由が「ルールを破ったから」だけでは絶対にダメだと考えます。

ルールを破った事による損害やルールの存在を貶めた事を批難するべきで、「ルールだから」というだけでは不十分です。

賭博問題などで良く問題になっているのが、「公営賭博と違法賭博の何が違うのか」という点ですが、違法賭博を糾弾する側の理論が「ルールを破ったから」という理屈だけで、具体的に説明できていないことが非常に残念です。

もちろん、中には「闇の世界に金を流さない」とか、「子供たちへの悪影響」を指摘する人もいますが、「賭博と麻薬の類似性」から考える方が分かりやすいでしょう。

賭博や麻薬には依存性があり、犯罪や金銭問題も常に伴い、社会的に大きなリスクが伴います。国民全員が自制心があれば良いのですが、そうでないので規制は必要だと考えるのも納得です。しかし、同じようにリスクがあるものの許可されているものに「競馬・富くじ・酒・タバコ」などがあります。

「これが良くてどうして他がダメなんだ」となるのも仕方ないでしょう。

ですが話は至極簡単で、「可能な限りリスクが少ないと思われるものをリスクが少ない方法で提供している」からに尽きます。

合法賭博には一応かなり色々な規制があり、それに則って運営していますが、違法賭博にはそれがありません。つまり、容易に依存したり、犯罪に繋がったりするリスクがあるということです。

国が賭博や薬物関係の規制を緩め、それをちゃんと管理できるなら良いのですが、残念ながら今の日本ではそれ以外を管理出来る体制が整っていません。

例えば、これは「親が子供のおやつを規制する」のと同じで、虫歯や糖分のとり過ぎを懸念して「クッキーは3個まで、ケーキは1個まで」と言われて、子供が「なんで差があるんだ!」と騒ぐようなものかもしれません。

そのルールを破った子供に対して、親が「親が決めたルールは守りなさい」と言ったら、子供が健全に成長しないことは火を見るより明らかです。ちゃんと、「どうしてか」について触れていかないと子供はきちんと成長しません。

残念ながら、これは大人でも社会でも同じです。

ルール守るだけではなく、ルールを理解する大人がもっと沢山必要なのではないでしょうか?

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