「である調」か「ですます調」か、両者の特徴を語る

ここのブログはずっと「ですます調」で統一してきた。しかし、本音を言えば「である調」の方が書きやすい。そんなわけで、今回の記事は終始「である調」になる予定。

である調とですます調を統一するのは文章を書く上では当然の事だが、どうしていきなり文体が変わるのかというどうでも良い話のついでにこの二つの文体の使い分けや特徴について語ってみたい。

まず、「である調」の特徴は文章が常に断定的であるということ。何かを伝えようという意志が文章からはっきり伝わってくる一方で、堅苦しく、時に押し付けがましい印象を読者に与えてしまう。文章全体に説得力が出るが、内容によっては「悪いイメージ」を与えてしまう事がある。語尾に変化をつけられるというのも魅力の一つだろう。

一方、「ですます調」の特徴は丁寧で柔らかい印象を読者に与えられるという点にある。文章が堅苦しくならず、よほど偏った内容でなければ読者を不快にさせることもない。語尾に変化がつけられず、いまいち強い説得力に欠けるもののあらゆる媒体で使えるため汎用性が高い。

WEBライターの殆どは「ですます調」をクライアントから要求されるはずだ。もちろん、有名ライターなどは「筆者の主張」という側面を際立たせるために「である調」で書くこともあるが、「1文字幾ら」なんていう案件では「ですます調」が基本になる。

というのも、こうした案件の大半において、書いた記事が「無名」「編集部名義」「監修者名義」など、ライター以外の名前で掲載されるからだ。もちろん、契約書(ない場合も多い)には「著作権の移譲」の項目が含まれており、ライターが著作権を主張しない前提で執筆・掲載される。

こうした場合、断定的な文体で「ライターの主張」などされては困るのだ。また、「である調」には文体にライターの個性が出やすく、不特定多数のライターが記事を書くような媒体だとその変化が目立ってしまう。そのため、WEBライターが扱う案件の多くで「ですます調」が要求される。

実際、「ですます調」だと、軽く編集を入れるだけで誰が書いても同じ人が書いたように思える文章ができる。しかし、である調でそれをやろうとすると編集が非常に面倒くさい。個性を消しきれないのだ。

私自身も「ですます調」で長く書いてきたため「ですます調」でこのブログも始めたのだが、どうにもブログと「ですます調」の相性が悪い。厳密には、私が書きたいブログに「ですます調」が合わない。

無論、「軽めのコンテンツ」や「広報的な用途」を持つブログなら「ですます調」でも全然問題はない。しかし、ライターやブロガーが自分の意見を主張するようなコンテンツに「ですます」だとどこか締まりが悪い。

やはり説得力に欠けるし、なんだかどこかで借りてきたような文章に思えてくる。論文の殆どが「である調」なのは、そこに「書き手の主張」が強く含まれているからに他ならない。

また、これは完全に個人的な事情だが、どうしても「仕事の文章」のイメージが消えず、自分が好きなように書けないというのも大きい。WEBライターの安価な記事では、基本的に「断定的な物言い」や「極端な表現」は避けられる。そのため、どうしても主張として弱くなってしまう。

せっかく個人のブログなのだから、そのへんは自由にやっても良い。そんなわけで、本ブログの文体はおそらく「である調」に変更されることになる。かもしれない。

このブログの文体など読者にとってどうでもいいことだが、文体の使われ方を知ることで文体の使い方も分かるようになるはずだ。記事がどんな目的で書かれているのか、自分が何故文章を書いているのか、文体を見るだけでも少しは分かるようになるだろう。

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