プログラマの質が低いのは子供にPCの使い方を教えないから?

「PCを使えない学生が急増」の問題点」という記事を見つけた。これによると、スマホや携帯の進歩で若者のPC離れが進み、親も子供にPCを買い与えないせいで中学生のPC保有率も先進国平均の半分以下になり、日本人学生がPCを扱えなくなってきているという。

ちょっと日本の未来が心配になる。


教育ツールとして必要?

確かにスマホや携帯が便利になり、「パソコンなんて無くても良い」という人はかなり増えている。確かに、音楽を聞くのも調べ物をするのも動画をみるのも全部スマホや携帯で事足りる。

PCは高価だし、敢えて買い与える必要はないのかもしれない。しかし、ここでふと思う。

学校の勉強は一生懸命させようとするのに、PCが「仕事に必要なツール」であるという認識は持たないのだろうか?

殆どどんな仕事においてもPCは使うだろう。未だに使わない所があったとしても、いずれ何らかの形でデジタルデータを扱う形に切り替えざるを得なくなる。補助的にタブレットを使えば手書きノートの代替はできるし、紙とペンでデジタル化出来ないデータを扱うメリットは殆ど無い。

ましてや、人工知能がデータを処理する時代がくれば尚更だ。PCを使わずに仕事をするということはまず無くなるだろう。

そもそも、「今の生活で使わないからPCは要らない」という考え方はそもそも間違いだ。それなら学校の勉強も要らないことになる。将来、絶対に何かの役に立つから必要ぐらいの感覚で良いのかもしれない。

読み書きを覚えさせるような感覚で、PCの使い方を覚えさせるべきではないだろうか?


PCで何ができる?

塾には何十万と払うのにPCには払えないというのはおかしな話だが、やはり「受験」の重みは大きい。受験に最低限のPCスキルやコーディングテストを加えた方が良いとは思うが、まだまだ時間がかかりそうだ。

そこで、PCで出来る事をもっと沢山考えていこうと思う。

まず、遊び道具としての立場。携帯ゲームを買い与えるよりも安価なPCゲームを買い与える方が実は経済的だ。無料ゲームも多く、PCの使い方も覚えられるので一石二鳥。PCが高価なものだというのは昔の話。子供に与える基本的なものであれば4万もあれば買える。中古ならもっと安い。教育費とゲーム代がそれで賄えると考えれば十分だ。

とは言え、「ゲームを持ち寄って遊ぶ」というような、携帯ゲーム機には「コミュニケーションツール」の側面もある。PCがあるから十分でしょ!と言っても、友達が持っているから欲しいと言われてしまえばそれまでだ。他所は他所理論で乗り切るのも心苦しいだろう。

また、スマホでなんでも検索出来るという話だが、スマホ用に最適化されていないサイトはスマホでは扱いに難く、最適化されているものは表示される情報が少なくなっていることがある。単純にディスプレイサイズの問題でしかないが、情報量という意味ではPCの方が上だ。

ただ、基本的にはスマホとPCの差は縮まってきており、本当に「扱える情報量の差」ぐらいしか違いがない

もちろん、この差は人によっては絶大だ。出力、入力、ソフトウェア、プラットフォームなどあらゆる面で扱える情報が多く、PCの方が上だ。しかし、この「情報量の差」を自覚出来るだけのスキルがある人間が少ない。

PCでアレが出来るコレが出来ると言っても、実感が湧かない人が多いだろう。


本当にPCは仕事で使うのか?

PCの必要性を説いてきたが、どれほど仕事で使うのか。という点を見ていきたい。

オフィスソフトやメールはもちろん、仕事専用の特殊なアプリケーションの利用など、様々な形でPCを使うはずだ。

ただ、これらのアプリケーションは「誰にでも使える」という点が大切なアプリケーションでもあり、数ヶ月時間をかけて学べば扱えるようになる事が殆どだ。もちろん、教育コストが高くつくというのはあるが、言ってしまえばそのぐらいの差でしか無い。

横並びで入社する新卒にとっては大きな差かもしれないが、後から学んで間に合うスキルなら、それこそ就活の際に勉強するぐらいで、それほど気にしないのではないだろうか。

もちろん、プログラマやエンジニア関係は別だ。それこそ、子供の頃からコーディングをしているだとか、大学でみっちりアプリケーションの使い方を学んできたという人が揃っている。

そういう人には到底及ばないし、子供の頃から学んでいる人のレベルは別格だ。大学でいくら勉強しても追いつけない程の差がついていることもある。日本ではそういうエンジニアの数が少ないこともあり往々にして有名企業に行ってしまうが、海外に目を向けるとそのレベルのエンジニアがゴロゴロしている。


プログラマの質で負ける

結論としては、「子供の頃からPCを扱えた方が可能性は広がるが、扱えなくても大人になってから少し苦労するだけで済む」というところ。

人工知能の研究も進んでおり、ソフトウェアが扱いやすくなるという方向性は加速するだろう。そのためPCを使えなくても、ちょっと恥をかいたり、ちょっと苦労するぐらいで終わるはずだ。

ただ、本質的な問題はそこではない。

子供の頃からPCに触れていてバリバリにコーディングをやっているというエンジニアがIT業界を牽引している。日本でもそういうエンジニアは沢山いるが、その母数は諸外国に比べると極めて少ない。

日本には優秀な学生が多く、勤勉な学生がきちんと学べばすぐに世界に通用するエンジニアになれるだろう。しかし、母数が少ないということは「ずば抜けて秀でたエンジニア」が生まれてこないということを意味する。ある種の適性や才能と言ったものは、努力や社会システムではカバーできない。

日本には、車・機械・化学分野では世界を牽引する企業が沢山あるが、IT関係では非常に少ない。世界レベルの日本のIT企業と言えば「ソフトバンク」が思い当たるが、Yahoo!にせよ携帯事業にせよ、海外の企業を買収して作っている。エンジニア力というよりも、先見性や運営力でのし上がった企業だろう。

他にも日本で頑張っている企業は沢山あるが、プログラマの総合的な質という面では米国に負けている。さらに、総合的な面で言えば、中国にも負けているかもしれない。

私は米国でプログラミングを学んで日本に戻ってきた側の人間だ。極論ではあるが、日本が米国や中国にプログラマの質で負けているのは「子供の頃からPCを扱っていないから」だと私は考えている。

もちろん、日本人の中にもずば抜けて秀でたエンジニアはいる。しかし、十年後に次の世代を担うエンジニアが育っているかどうかは疑問だ。日本のソフトウェアエンジニアリングはこのままではヤバい。学校教育も変わりつつあるが、本当に急がないと完全に遅れをとってしまう。

子供をエンジニアしろとは言わないし、子供一人一人にPCを買い与えろとも言わない。

しかし、「一家に一台PCがないレベルの家庭」は少し考えなおしてみて欲しい。スマホよりも使い勝手が良いというケースは絶対にある。騙されたと思って買ってみて、子供に使わせてみて欲しい。

使わずに終わるかもしれないが、そこが最初のスタート地点なのだ。せめて、スタート地点には立って欲しいと切に願う。

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