生活保護なんていらない? 安易な利用でセーフティネットの意味が変わってしまう

「生活保護でパチンコはけしからん」とか、「生活保護が貰えなくて今にも死にそう」とか、「生活保護のあり方を見なおさないといけない」とか、国が提供するセーフティネットについては様様々な意見があります。

先日、こんなニュースを目にしました。生活保護1万3807世帯 「働ける世代」増加

要するに、病気も障害もない働ける世代で生活保護を貰っている人が増えているという話です。確かに、「けしからん」と思うかもしれませんが、その前にセーフティネットについて考えてみましょう。

生活保護を貰いながら働こうともせず、ダラダラと生活する人がいるのも事実ですが、中には「認知症の母を介護しながら生活に困窮し、親子で心中しようとする事件」なども起きています。まあ、これは極端な例ではありますが、生活保護が本当に必要なのにそれを利用できずに苦しい生活を送っている人がいるのは事実です。

セーフティネットというのは、病気や障害でまともに暮らせない人や職を失って中々仕事を見つけられず、失業手当なども得られなくなってしまった人のためにあります。もちろん、生活保護を受けている人は沢山いるので、一概に言えるものではないでしょう。

しかし、ここで多くの人が考えるのは、働かざるもの食うべからず、「働ける人が働かずにお金をもらうのは許せない」ということです。

そもそも、多くの人がこう思うのではないでしょうか?
「俺なら働けるならどんな仕事でもする」
「私なら家族や親戚に助けてもらえる」
どうして彼らはそうしないのだろうか?

この疑問はもっともです。実際、こうした人々なら生活保護を受給している人と同じ立場になったとしても、自分で解決策をみつけて自分でなんとかしてしまうでしょう。つまりこの論理だと、働ける体があるのなら「本来は生活保護なんていらないはず」なのです。

極端な話、彼らに必要なのは「一人で生きていくための知恵」や「一人で生きていくための意思」などであり、「お金ではなく強い心が足りない」という考え方は理解しやすいし、納得しやすいでしょう。

これは別に間違いでは無い気がします。病気や障害がなくて、働ける体があるのなら、どんな状況や環境に置かれても、「一流起業家なみのバイタリティ」があれば絶対に大丈夫です。世の中には破産を繰り返しながら、起業している人もいるのですから。

まあ、国民全員にそれがあれば苦労しません。

そして、仮に彼らの問題がメンタル面にあったとしても、「働ける歳になって生活保護を受ける状況になってしまった時点」で、「自立するために必要な心と知性」が育たなかったことは事実です。

生活保護を受ける理由は様々ですが、「生活保護の制度改善」などを行っても根本的な解決にはならないでしょう。自立する力がないのですが、最悪、犯罪者や浮浪者の増加に繋がりかねません。

かと言って、犯罪者や浮浪者の予備軍にお金を払うのがセーフティネットの意義かというと違います。

セーフティネットは「もしものための救いの手」であり、「避けられない不運に見舞われた人」のためにある最後の救いです。このセーフティネットが無かったら、人々は「不運」に自分で備えなければなりません。

沢山の保険に入り、給料は全て運用や貯金に回し、無駄な消費を決してしない生活が賢いと言われるようになるでしょう。少しでも消費をしたり、貯蓄を増やす努力をしなければ、何らかの不運に見舞われた時点で終わりです。堅実な生き方が奨励され、少しでもリスクのある挑戦的な選択肢は避けられるようになるでしょう。

ですが、セーフティネットがあれば、「万が一の時は国に助けてもらえる」という気持ちで人は挑戦ができるようになります。その結果、優れた企業が生まれたり、芸術家や職人が生まれたり、偉大な発見に繋がったりするのです。

「誰かに助けてもらうつもりで挑戦するのは無責任」という考え方もありますが、果敢に挑戦をする精神性がある人が生活保護を利用するのは本当に困窮した時であり、少なくとも安易に生活保護を利用することはないでしょう。

個人的な見解ではありますが、「セーフティネットは努力が報われる世界」を作るために必要なもので、努力をしない人のためにあるものでは無いと思うのです。理想の社会なんてものがあるなら、その社会ではセーフティネットは「絶対に使われないけど存在する制度」であるはずです。

生活保護の制度改革や雇用安定なども大切ですが、最初に必要なものは「どうしてセーフティネットが必要なのか」についての教育のような気がします。

カテゴリー: Blog

コメントを残す