節税って悪いこと?タックスヘイブン問題から考える納税のあり方

タックスヘイブン問題で世界中が揺れているが、免税国家で納税逃れをするのは厳密には「違法ではない」らしいです。要するに、法律の抜け穴を使って「節税」しているだけであって、脱税には当たらないというのが今の日本ないし世界の納税事情です。

別に今回のパナマ文書に限ったことではなく、グローバルカンパニーでは昔から本社所在地をあっちこっちに変えて「節税」するのは当たり前のことでした。単に、パナマ文書問題では本来なら簡単には分からないはずの「節税している人のリスト」みたいなものが一気に流出したために問題になったわけです。

また、法的に問題がないのでタックスヘイブンを利用して節税する人を処罰する事はできませんが、こうした節税を積極的に指導する事は問題になることがあり、それによる逮捕者も出たようです。

しかし、ここで気になるのはそもそも「節税」って良い事なんだろうか? という点です。

税金対策とか節税は普通に行われていることですし、法的に問題がある脱税行為でなければ問題にはなりません。しかし、法的に問題のないタックスヘイブンなどが問題視されるのであれば、そもそも節税行為に問題があると考えざるを得ません。

「いやいや、沢山儲けている人間が節税するのが問題」という人もいるかもしれませんが、沢山儲けている人の中には一気に失うことがあり得る人達もいます。リスクに見合ったリターンを得ることを批判するのはある意味資本主義社会に対する批判です。それはまた、別の議論になるでしょう。

そもそも、納税というのは国や社会を保つためのシステムであり、公共サービスや貧しい人を救うために使われてるお金です。税金の支払いはある意味で、それらのサービスや人々から得たモノに対する対価です。

それを支払わないということは、公共サービスや貧しい人を利用することで得たお金を返金する必要があるでしょう。

警察・軍隊・医療の全てが自費で治安は劣悪、尚且つ社会の底辺労働者達が死に絶えているような社会で普通にお金が稼げたでしょうか?まず無理です。

貧しい人が貧しいながらも生きて行けて、公共サービスがきちんと機能しているからこそ安心して富裕層が経済活動を営めるわけで、納税が不要という論理は中々成り立ちません。無政府主義についての議論はまた別でしょう。

社会的・倫理的に正しい選択は「節税はしない」ということになるかもしれません。しかし、現実的にそんなことをしたら経営や家計が大変なことになります。それに、納税システム側に不備があって、納税率が適切な数値になっていないことだってあるでしょう。税金が正しく使われるかどうかは別問題ですが、政府を信用出来ないから出来るかぎり納税額を減らしたいという人だっているはずです。

そのため、節税というのはどちらかというと悪いことかもしれないけれど、国と国民お互いの事情を鑑みて、グレーゾーンを作ってあげようという配慮と考えると良いかもしれません。

しかし、それはやっぱり国と国民に対して存在するものです。別の国に納税することで節税することを暗に認めてしまっては、最初の納税の前提が崩れてしまうような気がします。

高所得者ほど納税率が増えるので「節税」したくなるものですが、「お金が取られる!」とマイナスに考えるのではなくて、純粋に自分が受けたサービスに対する対価を支払うという考えた方が良いでしょう。

平等に与えられたチャンスをモノにしたのは素晴らしいことですが、チャンスが平等に与えられていたのは税金があってのことです。国のサービスによる恩恵をそれだけ受けられたということなのですから、対価を払ったって良いのかもしれません。

ま、低所得者が言っても説得力はありませんけどね!

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